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「平和の母子像」について

御廟の一角に、毎年8月13日に全体供養と世界平和祈念法要を執行する地蔵堂があります。そのお参りでは隣に建つ平和の母子像(特攻兵士供養塔)も併せて供養されているのをご存知でしょうか。
この平和の母子像は愛媛県の彫刻家、故馬越正八氏の作品です。

この平和の母子像は平成5年5月23日に開眼除幕式が執り行われました。

蓮華院御廟を発願された蓮華院誕生寺の先代住職川原真如様は、ご自身が戦争末期に高野山大学から学徒出陣されて、海軍第15期飛行予備学生として特攻出撃の訓練を受けられました。必死の覚悟で臨まれた先の戦争と平和について、真如様はみ仏さまの慈悲の心から一方ならぬ深いお考えをお持ちでした。

真如様は御廟完成前の平成4年7月8日に遷化されましたが、現在の川原英照ご住職様がそのお志を受け継がれて、同年9月9日に御廟を開創され、翌年に先の平和の母子像が建立され、戦没者五十回忌平和記念法要の中で遺族方参列の中で序幕されました。

その傍らに英照ご住職様による「平和記念碑建立趣意書」の石碑が建てられています。

「平和記念碑建立趣意書」
今を去る四十九年前、太平洋をへだてた日米の会戦は激烈を極め、敗色濃い日本軍によって人類史上かつてない「体当り」の特別攻撃が二万余名の前途有望なる青年の命を代償に開始されました。その捨身の「特攻」は連合軍兵士から「カミカゼ」として恐れられ双方に多大の死傷者を出しました。
そもそもこの「神風(かみかぜ)」のことばは、今を去る七〇〇年の昔、中国大陸から元軍が来襲したおり、一世の大導師興正菩薩叡尊上人の『彼の敵兵を一兵たりとも損なわず、彼の地へ送りやり賜え』との祈りによって起きたと伝えられる救国の風でありました。
しかし、この大風により溺死した元軍兵士が多数に上った事を聴かれた叡尊上人にとっては、痛恨の大風でありました。
このように敵味方を越えて、生命尊重の思想に基づいて起こされたのが後の世に言う「神風」でありました。
しかるに先時大戦の「神風」は日米両軍及び両国民のみならず、世界戦争史上まれにみる人類にとっての大悲劇であり、その悲しみは私たちの心に強く刻み込まれ、決して忘れ去る事の出来ないものであります。
ここに特攻兵士と連合国軍戦没者の五十回忌に当り、先の大戦と今後二度と起こしてはならないすべての戦争に対し、あらゆる命を大切にする生命尊重の立場から、深い反省の意と平和への祈りを込め、ここに平和記念碑を建立するものであります。
平成五年五月二十三日
九州八十八ヶ所霊場会

御廟にお墓参りの際には、ぜひ一度、お参りください。合掌
【今回は蓮華院誕生寺の機関紙『大日乃光』との連携記事です】

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